2024年12月の末に両親が離婚した。(厳密に言えば母が離婚届を置いて家を出たので、正式な離婚は年が明けてもまだ成立していないとは思う)
実家へ帰省する前にその旨を母から聞かされたので、今年は実家には帰らず引っ越し先の母の家で、母と二人の年末を過ごした。
いまどき熟年離婚はめずらしくない。2022年には約23.5%、離婚する夫婦のうち約4組に1組は熟年離婚と聞く。
私ももうアラサーであり、母が私を産んだ年齢になった。
その年に、母は父を捨てた。
【家族構成と経歴】
・父、母、私、弟の4人家族(私、弟ともに成人済み)
・母と父は9歳差
・父、私が中学の頃に失業
・その後短期間で職を転々とし、私が中学~大学まで単身赴任
・単身赴任期間が長く、帰ってきていないので年単位で会わないこともしばしば
・父が再就職するも失業前より所得が低下し、母はダブルワークを余儀なくされる
・結果、まれに家族がそろって食卓につくとお通夜のように静かに食事
・雰囲気が悪いのでその後各々が自室へ籠り、会話なし
さらにここでは書けない父親の刑事事件や祖父の借金等、問題は山ほど起きたのだが、昔を思い出して書き連ねるほど、家庭不和がひどい。
そのため、母から「離婚する」という話を聞いた第一の率直な感想としては、何も感じなかった。私が県外で離れて暮らしているのもあるし、なにより10年以上前から夫婦関係が冷め切っていることを知っているからだと思う。
両親が夫婦である。という実感も元から無ければ、夫婦ではなくなる、という現実味もなかった。
だが帰省する場所が実家ではなく初めて訪れた家である現実を感じ、悲しいような虚しいような、どこか他人事で言語化できない感情が私を襲い、そして絶望した。
心のどこかでずっと、両親仲のいい、平和で笑い声の聞こえる家庭をずっと求めていたんだと思う。思春期の頃から一度も無いのに。
大学生の頃、冬の早朝に一人寒々とした洗面所に立ちながら、隣の家から漏れて聞こえる笑い声を聞いたときが一番苦しかったのを、今でも覚えてる。
あぁ、もう一生、両親揃って家族仲良く食事をすることはないし、リビングで一家団欒なんてものを、子どもの立場として経験することはできない。10代の頃父から与えられたかった父性愛、その満たされぬ気持ちを一生抱えて生きていかないといけないという現実に
この先50年近くこの感情は私の中に棲み続けるのだ、ということに絶望したのだ。
願うなら家族仲良く同じ鍋をつついてみたかった。と一人で鍋を食べながら思う